ありがとう、タカ

2008年08月18日 20:25

13日から16日まで大阪からおばあちゃんが来てくれていた。
部屋の掃除があるので、ママはお迎えに行かずに家にいたんだけど、
ザリガニのタカの様子がおかしい。
久しぶりに暑い日で酷暑の大阪から来るおばあちゃんのために
エアコンを入れておこうと思って子ども部屋に入ったら、
タカがひっくり返っていた。まだ死んではいなかった。

おばあちゃんと一緒に帰ってきたゆーかは、
ひとしきり泣いたあと、
まだ息のあるタカを近くの田んぼに逃がしにいった。

「タカ、元気になったかなあ」


すっかり人間に慣れたタカはハサミを振りかざすことなんてしなかったのに、
その日の水換えのときにゆーかの指を挟んだらしい。

2年とちょっと一緒に暮らしたタカ。
ずいぶんとママの愚痴を聞かされたことだろう。^^:

ありがとう、タカ。

おカイコさま

2008年07月29日 22:17

我が家にまた新しい家族(?)が仲間入り。
それは、おカイコさま。
自然科学館でゆーかがもらってきたのだ。

ママはカイコを生で見るのは初めて。
玄関で見せられた瞬間は思わずゲッと叫んで言ってしまったけど、
さすがにゆーかの親を10年以上もやってると、こんなことで驚きはしない。
・・・慣れとは恐ろしいものだ(笑)。

カイコは桑の葉を食べるのだけど、ものすごい食欲で(しかも3匹もいるので)、
もらってきた葉っぱの枚数ではとても間に合いそうにない。
科学館の人の話では公園なんかに桑の木がはえてるということだったけど、
パパと一緒にゆーかが探してに行ったけど、これがなかなか見つからない。

とにかく木の多い鳥屋野潟公園の公園事務所に聞いても、
桑の木は植樹されていないと言われるし、
ネットで桑の葉を売ってるのを見つけたけど、
送料やらなんやらでめっちゃ割高になってしまうし。

で、科学館に問い合わせの電話をしてみた。
そしたら、ご丁寧に担当の人から電話をもらって、
桑の木がどこにあるか教えてもらった。
[おカイコさま]の続きを読む

ヘンな感じ

2008年07月07日 19:36

今夜はゆーかがいない。
パパも遅い。
JINとママのふたりっきり。

・・・なんか、ヘンな感じ。

新しい家族

2008年06月23日 17:47

080623_1351~0001ゆーかが授業で観察してたメダカを2匹持ってかえってきた。

画像ではわかりにくいかもしれないけど、
大きい方(画像下:赤っぽい)がオスで「グミ」、
小さい方(上)がメスで「パフェ」という名前。
ホントは3匹いて、もう1匹は「チョコ」と名づけてたそうなんだけど、
その子はもらってきたその日のうちに死んでしまった。

他にも卵からかえった稚魚が3匹、それぞれに名前がついていて、
スクスク育ってほしいから「育(スク)」、
健康でいてほしいから「康(コウ)」とゆーかが命名、
もう一匹はママが「キャンディ」と名づけた。

ザリガニの「タカ」もウチに来てもうすぐ丸2年。
メダカちゃんたちも長生きしてほしいな。


[新しい家族]の続きを読む

ドタバタできる幸せ

2008年05月08日 22:30

幼稚園の役員仕事は、保護者総会が終わってヒトヤマ超えたという感じ。
行事と集まりの隙間に学校の役員決めあり、
幸運か不運かこちらも学年代表になってしまったもんだから、
ほんまにもう、何もしてないのに勝手に目から涙が出てくる、という
かなりパッツンパッツンに張り詰めた毎日を過ごしてたんだけど。

GW、さすがにダウン気味だった私。
後半になってJINがゲロゲロ星人になってしまい、
自分のことなんかかまってられなくなって。
看病の甲斐あって1日で復活してくれてホッとしたのもつかの間、
昨日の夕方、吐き気に突然襲われて私もゲロゲロ星人に(苦笑)。

だけど、今朝になったら普通に幼稚園の役員仕事やってるし、
午後からはPTAの仕事やって、総会なんかにも出席しちゃったりして。

ドタバタできるってホントに幸せだなあと思う。
動ける自分、できる自分に感謝。
助けてくれる周りのみんなに感謝。
ありがたいです、はい。

新学期

2008年04月10日 09:19

新学期が始まった。
JINは年長さんに、ゆーかは5年生になった。

クラス替えがあったり、担任の先生も変わったりで、
きっと緊張しているんだろうなあとは思うけど、
それぞれに「しっかりしなくちゃ」って意識してるのがわかる。

進級に合わせて、JINのスイミングもゆーかと同じ時間のクラスに変えた。
ふたりで仲良くバスに乗っておそろいのスクールバッグで出かけていく。
バス乗り場のマンションの玄関までお見送りすると言っても、
「ふたりでちゃんとできるから来ないで」と、あっさり却下された(苦笑)。
[新学期]の続きを読む

Doing と Being

2008年01月28日 15:41

JINの幼稚園からの配布物に「ともに育つ」というのがある。
今月号に秋山千四郎さんという方の書かれた記事があった。

(以下抜粋)
我が家には小6と小4の2人の息子がいる。
仕事柄、家にいることが多いため世のお父さん方よりは
子育てに関わってきたと思う。
反面、「お父さんっ子」になりはしないかと心配だったが
最近わかってきたひとつの事実がある。
それは、やはり最後の最後のところでものを言うのは母親の存在であるということだ。

ここだけの話、子どもに対する接し方は、妻より私の方がうまい。
だから普段、子どもは私になついている。
しかし、ここ一番というとき、子どもは母親の方になびいていく。
これって結構さびしい。
それで多少いじけながら、いろいろと考えてみる。

一般に父親は、常に子どもとある程度の距離を持って関わっているものだ。
どんなに家で一緒にいたとしても、父親と子どもとの間には距離がある。
ところが一般に母親というものは、子どもと距離を持つことができないのではないか。
少なくともわが妻に関してはそうだ。
わが妻は、子どもと適当な距離を持つことができない。
子どもと直接、ピッタリと結びついてしまっている。
だから、始終子どもに翻弄され、振り回されている。
そしてヒステリーを起こしては私に当たってくる。

しかし、子どもが本当に必要としているもの、
本当に求めているものは、
父親と子どもの間に築かれているようなスマートな、
ストレスのない親子関係ではなく、
実は母親と子どもの間のようなドロドロとした
ストレスだらけの親子関係こそ、
子供にとって本当の意味で必要なもの、
たいせつなもの、かけがえのないものではないか。

一般に父親は子どもに対して
何かをしよう、何かを与えようとする。
英語で言うなら「Doing」の関わり方をする。
しかし、母親は子どもを対象化しないで、
子どもとともにあろうとする。
「Being」の関わり方である。

だから、母親は子どもに翻弄される。
子どもに振り回される。
子どもと一緒に笑っているかと思えば、
次の瞬間、子どもと一緒に泣いていたりする。
しかし、それこそが、
子どもにとって本当に大切なもの、
必要なもの、かけがえのないものだと思う。
一人の人間としての生きる支えとなるもの、
最終的な生きる力となるものではないかと
最近、しみじみ思うようになった。

[Doing と Being]の続きを読む